私たちが生きている現在の社会制度は資本主義社会です。
人間が人口的につくりだした資本主義には当然一長一短があります。
そのため、当たり前と思ってることでも、常に人間の本質である自然体をベースとして検証する必要があります。
ここでは、「稼ぐは能力、使うは人格」という資本主義的言い方をしましたが、道徳的には「得るは能力、与えるは人格」と言い換えられます。
目 次
稼ぐことに特化した能力教育
学校や塾、スポーツクラブなどの習い事のメインは能力教育です。
単純には人を上回ること、競争に打ち勝つことの方法手段教育です。
目的は、有名になること、人より稼ぐことです。
別角度で見れば、この社会で落ちこぼれないことです。
いくら人格教育、心を育てますと言っても、能力向上がメインの価値観の中で、ついでに人格教育をしても意味がありません。
大切なのは順番です。
協調と競争があったとします。
競争の中で協調を教えても打算にしかなりません。
勝つための手段として協調しているに過ぎないからです。
人のミスを責めてチームワークを壊しては流れが悪くなるので許す・かばう(ドンマイ)と行動しています。
しないよりましかもしれませんが、自分の勝ちたいという利益のために許しているのですから、これは打算であって人格ではありません。
競争の中で協調を教えることで、かえって利益関係を教えてしまっています。
資本主義では利害関係者のことをステークホルダーと言って重要な考え方の一つとなっています。
能力教育は資本主義の申し子を育てているのであって、自然な人間を育てているのではありません。
AIをプログラムしているようなものですね。
これが、子供のみならず人間のストレスであり生きているつらさの大きな一つの原因です。
成功したと思われる一部の人すらも、このストレスからは解放されません。
しみこんだ価値観ですから、
・教育は能力やスキルを上げること
・人格は厳しい競争の中で磨かれて育つ
・人格教育は能力教育のついで
・勝てば爽快でストレスから解放される
・人間関係は仲間とそれ以外(敵味方)
・幸せになれないのは能力が足らないから
・子供によい能力をつけさせるために投資する事が愛情
・きれい事を言っても稼がないと生きていけないから稼ぐ優先
などと普通に思われていませんでしょうか?
人格は善悪感、そして許して忘れる心を育てる
親の子に対する愛情とは、なるべく一緒にいて関心を持ってあげることです。
子供の可能性を誰よりも信じ、世間の評価には一切動じず、干渉せずに生(き)のままに育てる。
人格に最も大切なことは「善悪感」です。
「善悪感」とは感ですから、理解力ではなく感じる心のことです。
善はうれしい、悪はつらい・悲しいと感じる心です。
道場で教えるとき、この心が育っていなければ、善を教えたときに「何で?」という回答になってしまいます。
善悪は理屈ではなく、心の喜び悲しみです。
この心はまさに、親の子に対する愛情で育まれます。
逆に能力教育を優先したときには壊れやすいものです。
善悪ではなく、利益がうれしい、損害が悲しいという感覚が育ちます。
人格教育は、能力よりも優先して育むことが大切です。
幸せをつかむ本当の力は、この「善悪感」をベースとした心の強さにあります。
心の強さとは、我慢する力ではありません。
一切を許し忘れられる心のことです。
人は過去の記憶の捕らわれば未来に希望を持つことは難しくなります。
すべての出来事を許せたら、どんなに未来が明るいでしょう?
これが心の強さです。
この心を育むことが愛情であり本来の教育です。
「そんなの無理」と思われましたか?
だからこそ、心の修行であり修練です。
このことこそ幼少期より育めたらどんなに素晴らしいでしょう。
人格教育を優先しましょう!
人各教育が不要と考えている方はまれだと思います。
しかし何人の方が優先できるでしょうか?
ちなにみ私は仏教徒ではありませんが、たとえとして使わせていただきます。
仮に心の修行として一日一時間お寺に通って座禅をしていたとします。
子供の受験の時期がきました。
能力・手段向上の塾と心の鍛錬の座禅の時間が同じだとしたら、どちらを優先しますか?
心の修行は受験が終わった後の暇な時間にやればよいですか?
学校の成績、受験のための塾、野球・サッカーなどの有名な大会の優勝のための練習は子供の成長にとって最優先ですか?
心が弱ければ、すべての能力は発揮されません。
最悪は心のない能力者です、自己の利益にのみ能力を使うのですから・・・。
成績が上位など資本主義・学歴社会で能力を発揮しやすい子ほど道場の来るようにしつこく諭しています。
能力の発揮しやすい子の心の成長が乏しければ社会の害悪になりやすいからです。
最も厄介な悪は、能力が高く法律を破らない悪ですから・・・。
心が強ければ能力は勝手に自分で身に付けていきます。
そして自身の主体性で身に付けた能力の方が遙かに有用です。
打算のため仕方なく身に付ける能力はけっこうつらいものがあります。
仕方ない強制は反発・反抗・落ちこぼれなどの原因にもなります。
子供時代に無理に身に付けたスキルが本当に家庭や社会で役に立ちますか?
英会話能力と人格教育はどちらが優先ですか?
英会話能力が身につく魅力に打ち勝ち人格教育を優先できますか?
稼ぐは能力、使うは人格
お金を稼ぐこと、何かを得る能力が人間の評価ではありません。
得たものをどう使うかが人間の評価です。
残念なことに学歴や金銭、有名、栄誉などを得るために、努力した犠牲を払った思いの強い人ほど、その結果得たものを手放しづらくなります。
動機を間違っているために努力が仇になりやすい皮肉な結果です。
強い心とは、必死に努力して得たものを手放せる心といってもいいかもしれません。
「貴方は将来何になりたいの?」
とよく大人が子供に質問しますが、
「Jリーガー・プロ○○選手・ミュージシャン・ユーチューバーなど」
と答えます。
すべては稼ぐ手段、有名になる手段です。
この大人の質問は教育上明らかに間違っています。
子供をミスリードしています。
この質問者の価値観が如実に現れていますね。
「貴方は将来どういう人になりたいの?」
「得た能力・地位・金銭を何のために使いたいの?」
が本来の質問です。
子供の未来の幸福を見据え、人格教育を優先しましょう。
まずは親御さんを含め大人側が価値観を改めましょう。