相手の心を受け入れるという稽古

すくすく通信通巻24号掲載 2017年11月発刊

心を受け入れる

杉原道場では、あくまでも武道は手段です。武道を通じて人としての姿を学ぶことを大切にしています。
心身の居心地がいい、コミュニケーションが心地いいという「ありよう」が稽古の一つの目標です。
相手の心を受け入れるという稽古をします。何をもらっても最初に「ありがとう」という稽古です。

例えば、自分にとっていらないものを相手からいただいたとします。
そのとき、最初に「いらないのに・・・」とか「いりません」と、思うことも言うこともいけません。
相手からいただいたものは、「言葉」や「もの」だけではなく、「あなたのために」という心も同時にいただいているからです。
道場訓に
「吾々は、愛情・信頼・尊敬など、見えないものほど大切にします。」
とあります。

いただいたもの以上にいただいた心を大切にする稽古です。最初に相手の心を受け入れて、いただいたものやタイミングにかかわらず「ありがとう」の思いと言葉をセットにしてお返しします。
その後、不要であれば断ってよいとしています。

すべてを尊重して見下さない

もし仮に、相手の思いが愛情ではなかったらどうするのですか?と質問があります。
武道に「不気尊重」という言葉があります。あらゆる事に気をとらわれずに、尊重(尊敬ではない)するという意味です。
相手の思いにとらわれず尊重します。詮索する必要はありません。
相手の思いを尊重して「ありがとう」という姿勢が大切です。
常に相手を気にしていれば、コミュニケーションはストレスにしかなりませんし、かといっていい加減に、ないがしろにしては失礼になります。
故に「不気尊重」です。

武道では、相手の正拳突きや崩し技も最初の一瞬に「ありがとう」と受け入れます。ギリギリのやりとりの中で実現してこそ稽古の成果です。
道場生同士ペアになって、お互いいらないものをあげます。それを「ありがとう」と言ってから断る稽古をします。
たとえ私を中傷する言葉であっても「ありがとう」と受けられればどれほど自分自身の心身の居心地がいいことでしょうか。

「敗北」は成長の糧

敗北は特別ではなく日常の出来事です。
もちろん、負けはない方がいいのですが、そうはいきませんし、成長するためにはとても大切です。
現代社会では、とかく勝った負けたという結果にとらわれがちですが、とらわれてしまうと、せっかくの敗北が成長の糧になりません。
単に負けて落ち込んだり、悔しがっていたのでは良き成長は望みにくくなります。
相手に対して「ありがとう」の心、その「悔しさ」を越えて「素直に相手をたたえる」などの創造的な心を持つことが肝要です。
そうすれば、勝者の優れていた点、敗北した理由などが、より正確に根本的に素直に探ることができます。

武道は礼によって始まり礼によって終わります。

勝者も敗者も「ありがとう」という感謝と素直な心だけが残るのです。
別の角度から見れば、自分より上の人がいると言うことは、自分にはまだまだ成長の余地があるのですから、これは素晴らしいことです。
敗北は、悲しい出来事ではなく、
・まだまだ成長の余地、可能性、未来がある。
・敗北した本当の原因を解く謎がある。
ことですから、これは面白い、興味深いことなのです。
面白いと感じれば才能が開花します。
この心が備われば、どのような困難もストレスではなく面白いと感じて健やかに突破していくでしょう。
稽古を通じてそのように育っていただけたらと願っています。

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