「感感初寛(かんかんしょかん)」とは人間の本質を現した四字熟語です。
目 次
人間の本質は鑑賞者・媒介体
現代人は競争に打ち勝とうという感覚が強いために、実行者・発信者であろうとします。
実行者とは、例えば、料理を食べる人ではなくて作る人、歌を聴く人ではなくて歌う人、消費者ではなくて製造者など能動的に何かを作ったり加工したりしている立場の事です。
その反対として、料理を味わう、歌を聴くなど感性を駆使して感じ味わう立場を鑑賞者といいます。
本来は鑑賞・受信が主体で、実行・創造・発信は従なのですが、現代社会の評価が「あなたは何をなしたのか」ですので、実行者・発信者であろうとすることがメインになっています。
そのため何かをなしていないと、自分は何もしていないと自分の存在感がゆらいでしまします。
ましてや病気や老齢化で何の役に立てないと落ち込んでしまいます。
本当に人間は実行力や結果が主体なのでしょうか?
むしろそう考えることがストレスの原因ではないでしょうか?
現代人のストレスは実行者たらんとすること、ないしは他者からその実行力のみを評価されてしまうことです。
ストレスの高い人は、
歌い手や作曲者は評価しても聞き手は評価しません。
花園の造園者は評価しても花をめでる感性はよいと思っても評価はしません。
試験の点数や順位は評価しても昆虫に関心があることはファーブルや今西錦司先生くらいの実績がないと評価しません。
運動会で1位になることは評価しても素直に一位になった人をスゴイと思う心は評価できません。
人間の主体的本質は、実は鑑賞者なのです。
人間の本質ですから誰もが得意です。
得意なことは特別な努力はしなくても初めから能力は高いです。
また自然と没頭しますからいつの間にか熟練していきます。
ですからストレスなどとは縁がなく健やかで幸せなのです。
美空ひばりさんのような歌い手になることは特殊な才能ですが、その歌を素晴らしいと感じて感動することは人間の得意技です。
観客として堪能することがどれほど幸せでしょうか?
料理も絵画も映画も小説も、ましてや自然を鑑賞し感動するありようが人間らしいのです。
この当たり前の感覚でこそ幸福度が高まります。
超一流は最高の鑑賞者
結局、超一流の実行者、芸術家、スポーツ選手、実業家、知識人などは最高の鑑賞者であることが前提です。
最高の料理人である前に、最高の味覚・嗅覚・聴覚・視覚・触覚で最高に味わうことが大切です。
世界で認められたスペインの料理人が「お客の100倍繊細に味わう」と言っていました。人間の可能性は人間の本質である鑑賞者として洗練されていることで発揮されます。
道場生にも稽古の帰りに何でもいいから一つ感動して帰るように指導しています。
感感初寛
感感初寛とはその人間の本質である鑑賞者としてどのようなありようでいればよいのかを示しています。
●感謝
「ありがとう」の思いで心が活性化します。
私の前には当たり前やどうでもいいことがありません。
感謝できないのは私の全て鈍さが原因で一切相手の責任にはしません。
●感動
「いただきます」とすべてを味わう感覚で知性が活性化します。
感動こそ相手(人・自然)の対する最高の贈り物です。
●初心
すべて「初めまして」で思考が活性化します。
昨日と今日は同じようにみえて違います。
感性が鈍ければ違いを感じませんが、感性が豊かならその違いは歴然です。
私の前には当たり前、普通、繰り返しがありません、すべて諸行無常です。
繰り返しにみえても記憶(過去)を探らず、冒険・探検の心で事にあたります。
●寛恕(かんじょ)
「全て許します」で心が活性化。
緊張の根源は許せない事、許せば緩みます。
世界を明るく感じるようになる。
このような心・感覚を持つことが人間にとって健やかなのです。
現代ではこの真逆な評価をする、されるためにストレスが高いのです。
感感初寛を目標に修行をし魂を錬磨しましょう。
師範 杉原政則