すくすく通信通巻21号掲載 2017年1月発刊
目 次
「自然界」と「人工界」の2つの仕組み
武道での稽古目標は「不動心」と「自然体」です。
これらをどのように体得するか、このことを究極の人間学と思っています。
人は、人が生まれる前から在る「自然界」と人が後天的に生み出した「人工界」の2つの世界に所属しています。
人は工場で生産された訳ではありませんから、言うまでもなく自然物です。
人間関係も自然物同士の関係ですから、本来は自然法則にしたがって行えばさわやかで円滑になります。
ろうそくの火とLED電球の光との違いをイメージしてください。
より自然なろうそくの火には、無限の「ゆらぎ」があり、より人工的なLED電球には「ゆらぎ」がほとんどありません。
この「ゆらぎ」が心体にあれば自然体で緩みがあります。
「ゆらぎ」が心体に少ない人は人工的で、緊張度が高く強引に成ります。
多くの方が考えたこともないかも知れません。
同じことを言っても、人によって伝わり方が違います。それはその人の緊張度の違いによります。
緊張度が高ければ、発する言葉に「ゆらぎ」がありませんから、本人は優しく言ったつもりでも言葉が相手にぶつかってしまい伝わりにくくなります。
そのことに気づいていなければ、「何で聞かないの」と相手のせいにしてしまうかも知れません。
逆に緊張度が高いためにこもってしまい伝わりにくい場合もあります。
歌唱力のある人はテクニック以上に「ゆらぎ」をもっているため、歌(言葉)が伝わります。
武道も心体に「ゆらぎ」のない人は、どれほど稽古し技を覚えても技がかかりません。結局あきらめて強引な力に頼る力対力になってしまう方もいます。
存在そのものが気持ちいい
自身の「ゆらぎ」があれば、感覚・動作・存在(生きていること)自体が気持ちよくなります。
より自然体の小さな子供が遊ぶ姿を想像してください。動くこと自体を楽しんでいます。
緩んでいる子ほど転んでも痛くありませんから、転んで笑っています。
これが人間本来の姿(自然体)であると武道は考えます。
いつのまにか固まってしまった心体に「ゆらぎ」を取り戻すことが、道場稽古の主体です。
固まっている人は感覚・動作自体があまり気持ちよくありません。そのため「行動はつらいけど結果(成功・勝利)のために我慢しよう」と考えがちです。
そのため結果に翻弄されやすくなり、日増しに固まって緊張度が高くなってしまいます。
感性が豊かで知覚(関心)にあふれる
常に結果を要求されたり、「この子は○○だから」とくくられた子供は伸びにくくなります。
仮に褒めたとしても、結果中心に褒めていれば結果に翻弄されやすい子供なり、やはり緊張度が高くなり伸びにくくなります。結果=子供ではありません。
子供の感性や姿勢、行動そのものを褒める必要があります。
結果に繋がらなくとも、どんなに小さなことでも見逃さずに褒めてあげれば、健やかに成長します。
感性が豊かであれば、わずかなことに感動できます。知覚(関心)があふれていれば向上心が高いので、勝手に学びを深めていくでしょう。
すくすく空手教室では時間制限があるため行っていませんが、道場では紙1枚の重さを感じる稽古をします。手にのった紙が何枚かを当てるのです。
本来人の感性は豊かで稽古している内にどんどん当てるようになって来ます。紙1枚の重さを大切にする稽古です。
その後、人の手にふれて誰かを当てる稽古をします。そうするとだんだん触れなくても気配でわかるようになります。
人の可能性は無限です。
子供の在りようそのものを認め伸ばしてあげれば自分の存在そのものが気持ちよくなります。
そのため意味探しは必要無くなり健やかです。
一人一人の子供が持つ才能を開花してあげたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。