すくすく通信通巻23号掲載 2017年9月発刊
目 次
傷つかない強さ、傷つけない勇気
武道の達人は人生の達人であるべきで、稽古の成果が道場ではなく日常にいかされて価値があります。
稽古は道場での立派さよりも、家庭や社会での人格者を目指します。
道場での稽古目標の一つに「傷つかない強さ、傷つけない勇気」を掲げています。
一見強そうに見えても、人やものを傷つける人は「傷つきやすい人」です。傷つきやすいからこそ、防御・反撃で相手を傷つけてしまいます。
「傷つかない強さ」こそ「傷つけない勇気」につながります。
「傷つけてしまう行為」をいくら注意しても、その場は収まっても根本的には解決しません。
「傷つかない強さ」を持つためには、自己肯定感の高い豊かな心、感性など磨かれた知性がたくましく育っていく必要があります。
*余談ですが、これとは関係なく、行動が雑な方は相手を傷つけたり翻弄したりすることがあります。行動が雑とは、例えば、足音・扉を閉める音・ものを置く音など生活音が大きい、声が場にふさわしくなく大きい、指先でつまむことが多いなどです。
すべてを尊重して見下さない
武道のことわざに「不気尊重」という言葉があります。あらゆる事にとらわれずに尊重(尊敬ではない)するという意味です。
おもてなしの心にも通じるありようです。
相手にとらわれたり、気を遣えば、本来の人間のパフォーマンスは発揮されません。
人の評価を求めれば翻弄され、相手によって態度を変えても成長できません。
すべてのものには重さがあります。
どんな存在にも重さがあるのです。
日本語でも相手を大切にすることを「重んじる」、いい加減に扱う事を「軽んじる」といいます。
相手を尊重するとは、相手を重んじる、重さを大切にするという事です。
重いものを重く感じることは容易です。
例えば、地位の高い人や有名な人の言葉は「重く」受け止め安いですが、立場のない人や幼い子供の発言は軽んじやすく「重く」聞くことは難しいかもしれません。
そのため稽古・修行が必要となります。
ありとあらゆるものの重さを重んじる、一切見下さないための稽古です。
まず、自分の体の重さを感じる事から始めます。
自分の体や部分部分の重さを感じたことがありますでしょうか?
手にも、指にも重さがあり、手を動かすことはその重さが移動していく事です。
この重さを感じていなければ、体を軽んじていることになります。そのため、知らず知らずのうちに重力に逆らって、日常的に体の様々な部位を持ち上げてしまい、肩こり・腰痛などを引き起こす場合も多いです。
本来の重さよりも対象が軽いと思って動作することで、腰に重さが集中し痛める方も多いと思います。
重さが移動することが運動であり、武術の極意の一つに「重さはすべて下に」があります。
紙1枚にも重さがあり、稽古のなかでは紙1枚の重さを感じ枚数を当てるという稽古もします。
稽古は日常生活の中にあり
稽古は日常生活の中にあります。
会話、食事など日々の生活の中で相手の重さを重んじる姿勢を貫きます。
鉛筆や歯ブラシの重さも重んじます。そして相手によって一切態度を変えません。
その後、心や思考を重んじるレベルを行います。
その稽古の成果が「自分を重んじる」事へとつながり「傷つかない強さ」となります。
ものを雑に扱い翻弄している限り成長は望めず「自分を軽んじる」ありようとなります。
すべての子供のもつ無限の可能性にわくわくしています。
今年度もよろしくお願いいたします。