単に限界を超えて厳しい稽古をしても精神力が高まらない?

青少年教育の中でも特に重要な事は「心の成長」です。
もちろん武道である以上様々な身体的技術も稽古し身につける必要がありますが、心の成長が伴わなければ身につけた技術はたんなる凶器ですし、何を身につけても自分の人生には生かせません。

武道教育での誤解

武道教育でよく誤解されやすいのが、ある一定の限界を超えて厳しい稽古をするば、おのずと精神力が高まるという考え方です。

道場での「厳しい稽古」や「形式上の礼儀作法」を教えても、それだけで精神的な成長は望めるほど簡単なものではありません。

むしろ中途半端な指導では、身体的・技術的な強さのみを追求し、安易に大会などで勝つことが目的となってしまい、かえって心を損なう可能性があります。
優勝できたのは精神的に向上できたからという人も見受けますが、それは栄誉などを得るための執念が強くなっただけかもしれません。

「悔しさ」という感情は成長ではない

武道に関わらず何らかの競技で負けた生徒に対して「この悔しさを忘れるな。次は必ず勝て」と指導している先生をよく見かけます。
「悔しさ」という感情は、教えなくても一般的には誰もがもっている感情であり、「悔しさ」は基本的に「相手をたたきのめす」「相手をやっつける」など、破壊へ向かいやすい、むしろ幼い心です。

本来はその「悔しさ」を越えて「素直に相手をたたえる」などの創造的な心を指導すべきでしょう。
もし「悔しさ」を指導するならば、負けた事では無く、例えば「礼節を守れなかった」「冷静さを保てなかった」など自己の未熟に対するものでなければなりません。

心の成長とは

本当の「心の成長」には、指導者自身の生きざまやそれに伴う、より深くわかりやすい言葉が道場生の精神的成長には欠かせません。
「この先生のように自分も生きたい。」とあこがれる事もその第一歩です。

また、武術の実践の場が大会とすれば、心は家庭や社会の場で実践してこその成長ですから、その点にも留意した指導をする必要があります。

道場では、様々な言葉やその言葉を語った人の人生を学ぶ事で「心の成長」の基盤としています。
家庭での愛情にはぐくまれ、良き師を通じてその生き様と言葉を学び、自分との関わり、人との関わり、自然や社会との関わりを通じて心の成長が可能となります。

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