すくすく通信通巻18号掲載 2016年5月発刊
目 次
意識と無意識
人の在りようのなかでも「意識と無意識」について書きたいと思います。ご存じのように成長期の日常の積み重ねが無意識(潜在意識)となっており、人生に深く関わっているからです。
人は、生活やコミュニケーション、行動などをするときに「意識的」に行う部分と「無意識」に行う部分とがあります。
この両者を歩くことで例えてみます。
歩きは、足だけではなく全身のあらゆる部分が動きます。前に進みつつ、転ばないために視覚・聴覚・足裏感覚などの情報を感知し絶妙にコントロールしています。心拍数も調整されています。
これら全てを意識でコントロールはできません。
そのほとんどは無意識に行われています。
一つの行動に対して、意識4~5%・無意識95~96%と言われています。そのため、その瞬間瞬間をいかに意識しても無意識の方が圧倒的に作用します。
わかりやすい例で言えば、人前に出たときに緊張するまいという意識を持っても、無意識部分に緊張があれば震えや汗は止まりません。
日頃、生活音の大きい人は、その動作が身についていますから、何かの行事で突然静かに振る舞おうと思っても無理が生じます。
武道では顕著に表れます、特に合気道などの接触技になりますと、意識的に技を繰り出しても全くかかりません。できるだけ「やさしく」「丁寧」に接触しなければ相手の抵抗を引き出しどんな技も力づくとなり意味がありません。しかし、日頃人に対して「丁寧」に接していない人は無意識下では「雑」ですから、いざ技をかける時に意識の「丁寧に」よりも無意識下の「雑」が勝ってしまい相手の抵抗を生んでしまいます。
普段、営業上・表面上「丁寧」にしているつもりでも無意識下の「雑さ」は武道ではごまかせません。
これが、他の武道に比して合気道のむずかしい所以でもあります。
大人同士の接触(仕事・会話など)ではお互いにその「雑さ」を許容(目をつぶって)いるのでわかりにくいかも知れませんが結果多大なストレスになります。少なくとも健やかではありませんね。ちなみに本来子供は許容しません。
このように全てを意識して行うことは不可能ですし、本人の自覚とは別に、意識はその行動のほんの一部分でしかありません。人の在りよう(為人(ひととなり))を生かすためには、この無意識部分をぬきには語れません。
無意識は日常の在りようの積み重ね
無意識は日常の行動の在りようの積み重ねからできあがります。経験ではなく、そのときの自分の心のあり方や体の状態の積み重ねです。
子供などは、「どうされたのか」「どう接しられたのか」のほうが大きいと思います。
より強制・支配的に接せられた子供は、無意識的防御反応が、在りようとして身につきます。潜在的に警戒し例え相手が誰でも自分に接しよう、近づこうとしたときに居着き(緊張収縮)が強く現れます。
本人が意識しているのではなく、無意識に居着くのですからやっかいです。
意識的には「味方だから安心リラックスしよう」と思っても、無意識は人を警戒します。
大人になっても変わりません。
これは大きなストレスの原因であり健康にも影響します。動作も直線的で力ずくとなります。
このことを武道では「無意識反射」といいます。
※「居着き」は判断して分類優先の傾向が強くなる
「無意識反射」のある人は傾向として警戒癖(無自覚)があるため、感じ受け入れるより先に「判断(理性)」を先行させる傾向が強くなります。
絵そのものよりも作者や歴史(判断)、音楽そのものよりもカテゴリー(クラシックなど)を(分類)先に知りたくなります。
絵や音楽を感じる受け入れるより,判断して分類すること優先になります。
「名探偵コナン」に登場するボケ役の毛利探偵は「誰が犯人だ」「証拠はこれだ」と犯人捜し、状況分析など考え(理性)優先になりますが、頭脳明晰なコナンは「現場の違和感」と感じる(感性)こと優先なのは面白いところです。「相棒」の東大出エリート右京さんも感覚優先ですね。
ちなみにTVも、事件が起きると「今後の対応(被害者の救済含む)」よりも、「犯人」「犯行の動機」「犯人の生い立ち」優先になっています。最近起きましたバス事故におきましても、被害者の方がどう救済(治療含む)されたのか、事故の起きやすい道路をどう改善するのかなどの本来優先すべき大切な事(未来)はさておき、「運転手」「バス会社」「事故の起きやすい道路状況」などの原因探し(過去)が優先され報道されます。
会社でもトラブルやミス、クレームなどがあったとき
今後の対応・対処そっちのけで。後でゆっくりやればすむはずの「誰の責任だ」「誰がやったのだ」と犯人捜しを最優先してしまう事もあるかも知れません。
気持ちの良い(居着かない)温泉に入っている時に、この気持ち良さの原因(天然温泉・成分などのある意味犯人)を優先して、それが分からないと「気持ち良くなれない」と思う人はまれ(うんちくマニアなど)ですね。後からゆっくり知ればいいことです。
バス事故の例でいえば、被害者の方への思い、今後同じような事が起きてはいけないという責任感、会社の例でいえばトラブルで迷惑を被っているかもしれない相手への思い、クレーム者の気持ちや被害状況、対応した人の立場や思いを感じる、当たり前ともいえる普通の感性が優先されることが本来と思います。
自然体で受け流す極意
成長する上で、最もやっかいなのが、この「無意識反射」です。
これは、その子の持てる才能が、非常に開花しづらい状態といえます。
見た目ですぐわかる子供もいますが、一見穏やかそうでも「無意識反射」が身についてしまっている子供はたくさんいます。
人の「無意識反射」は武道稽古を行えばすぐにわかります。
ここが武道のすばらしいところで、スポーツの場合は少々の居着き(緊張収縮)があっても結果が出る場合がありますが、武道では全く技がかかりませんのですぐに居着きが見抜かれます。
日本武道の極意は「力のぶつかり合い」ではなく「自然体で受け流す」ことにあるからです。
仮に相手が胸を押してきたとしましょう。
そのままにしておけば、おされてしまいますし、押し返せば、まさに「力のぶつかり合い」になります。
武道では、その押してきた力を一旦受け入れます。その後その力をそのまま相手に丸く戻します。するとこちらはほぼ力は使っていないのに相手は崩れます。
この「一旦受け入れる」を「無意識反射」の強い人はできません。その場で意識的に行おうとしても、在りようが「無意識反射」である限りできないのです。
意図せず、ぶつかりやすい為人になっていますから、ぶつからないためには、大変なストレスを抱えることとなってしまいます。
会話でいえば、たとえいやなもの、不要なものでも、すぐ断らず、一旦「ありがとう」と相手の思いを受け入れてから断る姿勢になります。
道場ではこのような受け答えの稽古もしています。
もちろん「無意識」を稽古で変える事はできます。
しかし「無意識」ですから時間を要しますし大変です。はじめから「受け入れる」在りよう(緩み)で育つことが遙かに素敵です。
そのためには、大人が子供に対して「受け入れる」在りようであることが大切な条件です。
子供に「無意識反射」などという負の遺産を引き継がせないためには、親や指導者側の在りようこそが最高のリスクマネジメントです。
子供を「責めない。とがめない。非難しない」など、お互いが気持ちよくなるような言い方、接し方で導きたいものです。